家の外は、大粒の雨が降っております。
今日はね、外でカレーを食べたいなあとか思っていたのですが・・・機嫌の悪い歩行者に正論を言われて面倒くさいのでやめました(笑)
雨の日のトラウマになってしまいそうです、もうパチ屋のカレー屋さんに怖くていけない。
おっちゃんも落ち込んでたので、心が狭くなっていました・・・多少八つ当たりですが。
そして申し訳ないですが、歩行者だから守られるとか感謝の無い様な事を言ってくるような人はもはや強者ですから。
あまつさえ車叩いておいて、そんな時は正論なんて聞きません・・・叩いたことを謝るまで反対の言葉で追いかけ回してやればいいのです。
まあ、歩行者は見えてましたし当てる気はなかった訳ですが・・・その行動が既に強者の貫禄だったので、あえて突っ込んでみました(笑)
因みに歩行者がね、危ないと感じて1歩でも止まれば私も止まりましたよ。
自分が強者で止まる気0ましてや敷地内だから、突っ込んで相手を停めさせようと私にはハッキリわかったので私も止まりませんでした。
以上でした。
何が言いたいのかと言うと・・・人と人とはお互い様なんですよという事です。
叩いた車を見た時に、ホームページの検索出来てこれを見たら幸いですね。
その為に車の傷をわざと確認させておきました、但し荒らしたくてもこのホームページは私の許可が無いとコメント載りませんから悪しからず(笑)
これ、大型を乗っていてもこのパターンで危ないと思う訳ですが・・・歩行者ももう少しは自分の身を守る行動を真剣に取らなければなりません。
実際、跳ねてしまえば・・・運転手の人生が壊れてしまうんです。
これイーブンに見えますが・・・これ疑問に思いませんか?
よく考えてみてください、宿題でした。
そしてこの可笑しな前口上、このパターンは?
そう、意味が多少あって書いています。
辛い事があった時に、トラウマとか言いますよね?
心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。・・・ウキペディアより。
因みにここまで、うわっクズ運転手のページだったかと思った方・・・ブラウザバックは左側です(右の人ごめん)、バイバイ(笑)
上の話の様に、トラウマとは思いの丈をペラペラ書いたり喋ったり出来ないものなのですよ。
簡単に話してしまえるとしたのなら、それは最早トラウマでは無い訳です。
上の歩行者の話は適当に考えて貰えれば良いです、こっから下が私の今言いたいことです。
雨は必ず止みますから。
おっちゃんは色々あって、辛い事が昔ありました。
そして人と人は必ず何時かお別れが来ます。
生きていく自分に出来る事を探してみましょう、忘れない為の努力をする事です。
いや、人は前に進むためには・・・簡単に思い出すのを辞める必要が有るのです。
それが所謂、トラウマからの離別だと言うことです。
そして囚われ続ける事は、必ず限界が来て自分が壊れてしまいます。
だから、どんな手を使っても良いので区切る必要が有るのです。
ここからは完全におっちゃんの独り言で作り話です、参考になる人だけ見ましょう。
男はかなり苦しい時期でしたが・・・男は生前相手にワザと、得意な事とか色々教えてくれと懇願しました。
女性はクリスチャンでしたから、聖書の話を男は教えて貰うことにしました。
まあ、男も頭にはなかなか入らなかったのですが・・・毎日聞いていると、女性もまた聞いてくるなと思って影で勉強したりするんです(笑)
それが一緒に泣くより、その人の力になったりもするのです。
その教えてくれた事を胸に生かし、男は仏教の方にシフトはしていきましたとさ。おしまい。
因みに教えてもらうのはなんでもいいんです、英語でも数学でも理由なんて適当で良いのです。
得意なことが聞けるなら尚いいですね、内容よりも思い出を作りたいので。
この教えて貰った言葉一つ一つが、私の胸の中で生きるということではないでしょうかね?
私はトラウマをメリハリつけて生きています、はっきり言うと区切りをつけないと生きて行けなくなります。
雨はいつか止みます、でも何処か巷では必ず雨が降っているそういうものなのです。
この話は、仏教の中ではとても有名な話なので最後に載せます。
彼女は結婚してかわいい男の子を生んだのですが、まだ幼いときにその子が死んでしまったのです。
彼女は動顛してしまい、冷たい骸(むくろ)を抱いて巷をさまよいます。「誰かこの子に薬を下さい」「この子の病を治して下さい」…ある人が見るに見かねて、彼女にお釈迦さまのところへ行くように勧めます。
お釈迦さまはこう言います。
「女よ、よく来ました。この子の病を治すには、ケシの実が必要です。町に出て、四、五粒もらって来なさい。ただし、そのケシの実は、まだ一度も死人を出したことがない家からもらって来なければなりません。」
ゴータミーは町に出て死人を出したことがない家を探しました。しかし、そのような家があるはずもなく、彼女は歩き回るうちにお釈迦さまの言葉の意味を悟ります。わが子の骸を墓地に葬った彼女に、お釈迦さまは尋ねました。
「ゴータミーよ。ケシの実は手に入りましたか。」
彼女は答えます。
「尊師よ、もうケシの実はいりません。死人を出したことがない家は一軒もありませんでした。どうか私に、道をお示し下さい。」 こうして彼女は仏弟子となりました…。
悟りとは、現状から差を取る(差取る)事です。
前に進むしかないないんです、悲しいけど。
目を閉じるとあの笑顔が浮かぶ、ならその笑顔と生きましょう。
生前教えて貰ったことを胸に、少しずつでも忘れるこれが大正解です。
因みにおっちゃんは・・・優しい人には優しさで返すけど、とんでもない事にはとんでもない事で返します。
という事で、仕返しの怖いおっちゃんは昼寝します。
では、本日はここまで!