日記

タンクローリー ドローンの目 麻原彰晃

こんにちは、二和運輸で働くタンクローリーのブログを書くおっちゃん・・・U235U238です。
巷では大雨特別警報が発動され、麻原彰晃の刑が執行されましたね。
被害者の涙が雨となってこぼれ落ちたのかもしれませんが・・・罪とは何れ剥がれ落ちていくものでしょうが、因果の観点から見ると結果は見えているのですが。
結構、人は起きる結果に気が付かないものなのです。
何故、人は苦しい道を選んでしまうのでしょうね。
今日は、宗教について私なりに話してみたいと思います。

今回の御題
タンクローリー 名古屋 ドローンの目 麻原彰晃

私は新興宗教と言われるものが嫌いでして、殆どの人が勘違いする原因は無知だからだと思っています。
宗教以前に、人間とは言葉が生まれるもっと前から元々、親切にする人不親切な人が居たはずなんです。
何故、新興宗教はおかしくなってしまうのか?
私は、お金だと思っています。
人は政教分離で今の人達は特に神様とか言うと、あんた宗教やっているのとかいう人いますが。
はっきり言いますおっちゃんを含め、現代人の殆どの人がお金大好き教の使徒です。
だから、ほかの宗教は認められないのだと私は思っています。
人は、いい所を見てる時にはアラなんて見えないんですね。
逆に悪い所を探している時は、いい所なんて見えないのです。
宗教も同じです、人は2つのことを一緒にするのが困難なうっかりした生き物だと言う事です。

1.宗教とはなんだろう?

じゃあ親父よ!新興宗教って何だよ?
君にお答えしましょう、あれもお金大好き教の枝分かれみたいなものです。
ただ、基本象徴が人間だけど神(神とは何かは?下の方で解説します)とか名乗る変な人達です。
まあ所謂新興宗教は、教祖が少し賢くて貴方は騙されちゃって集められてますって感じの変な軍団ですね。
私が何を言いたいのかと言うと、人は信じるものがないと生きられないと言うことなのです。
それが、お金か神様か?の違いだけです。
今の信仰宗教は、仏教とかキリスト教の良いとこ取りのミクスチャーで。
私は原始的宗教(仏教・キリスト教)の言いたいことは、そんなに難しいことではないと思っています。
それは、悪意あるものからは遠ざかり、良いものは取り入れ、心を清く保つ。
はっきり言ってこれだけです。
持っているものを皆でわけ与えなさいと宗教では言うわけですが・・・この言葉を利用して、人からお金を持っていく宗教の多い事。
キリストも仏陀も、お金や命よこせとは一言も言ってませんよ。
簡単に言うと、ミカン1つあって5人いたら五個にわけたらいいんじゃない?
そういう事です。
誰もお金を持ってきて全部よこせとは言ってないんです。
本当に勘違いする方は多いですが、信仰に金銭とかいりませんよ。
気持ちを分けろと言ってるんです、気分ってそういう事なんですよ。
自分が機嫌がいいなら、その気分を分けてあげられますよね?
人にわけ施す気持ちが、仏教とかで言う有難いという事ですね。
お金は大事なものですが、何かと比べるべきものではないということです。
だから、朝出てきてブスっとしている人が居たならそれが悪意という事ですね。
いつでも機嫌のいい人が、結果的に人に何かを分け与えているということです。
その為にも、心を保つという事がとても大切だよと付け加えて次に行きます!
宗教とは、常に機嫌のいい状態を保つ手段をとかれているものなのです。

2.人とは神とはなんだろう?

人とは神とはなんだろう?
少しワールドカップを例えに話していきましょうか。
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日本代表が居ますよね?みんな応援しました、だから日本は勝って欲しい!
でも世界に目を向けると、ポーランドの人はポーランドに勝って欲しい。
一方から見ると、何がなんでも勝ちたいってしか人は見えませんが。
これを二方向からの視点で見た時、相手の気持ちを考えるとあんまり変な事も出来ないなって感じるものです。
ただ、相手の気持ちもわからない時ってあるのですよ。
そんな時に、サッカースタジアムを上から撮影していたドローンを思い出してください。
もし、上から純粋に見ている第3の目があったとして・・・貴方はその曇りない眼の気持ちになってください。

貴方はどちらに勝ってもらいたいですか?

よくわかんないと言う方もいますが、これが神様とか言ったりします。
まあ、人はその存在を色々な名前で呼びますが・・・それでこれが愛情の話と言う事なのです。
要するに、空から誰か見ているんだよって昔の人は言ったんです。
だからはるか昔、江戸時代とかは勉強なんて誰も出来なかったし、お金もそんなに無かった。
信じるものを、天に求めたのだと私は思います。
人間とは愛情が誰でもあって、本当優しい生き物だということです。
昔のお寺には、今で言う区役所の様なシステムを担っていたのですね。
出生届けや死亡届けを担っていたのが、元々のお寺の仕事だったと聞きます。
人は、江戸時代の頃は飢饉と言うものがありました。
飢饉になると、亡くなって行く順番がお寺の過去帳に残っているそうです。
先ずはその家の奥さん→お義母・お義父さん→旦那さん→子供、もう何も書かなくても意味わかりますよね?
飢饉で生き残り、戦争で生き残り、守られて今の人達がある訳です。
有難い事です・・・そしてこれが感謝という事です、感謝しようと思えば何時でも出来ますよって言うことです。
日本代表の監督が何が足りないんでしょうね?と言っていましたが。
多分、感謝と覚悟が足りてないんだと思いますよ。
この第3の目を感じる事が愛情であり、見誤る事が少なくなる方法なのだと思います。
私は以下の言葉が好きです、人は心にこそ生きるんですよね。
「最愛の人を失ってしまえば、多くの人がその暮らしから愛は消えさってしまいます。しかしその愛が真実のものであれば、人は新たな希望を見出すことが出来るものなのです。」
「もしあの人なら、どんな時に喜んでくれるのだろう?」
「どんなお茶を出したら?」
「どんな声をかけたら?」
「愛おしい人の記憶が、教師となり聖者になりました。」
もし、生きていても心の中でその人が死んでしまえば自分にとってその人は死んでしまったのと同じです。
無関心、そうなった時本当は一番悲しいのかもしれませんね。
麻原彰晃の事は忘れていきましょうが正解です。

3.最後

長い長い話になりましたね、如何でしたか?
まあ、行動は先と以前言いましたが・・・とってはいけない行動こそ犯罪です。
何処かで誰かが泣くイメージが出来ないと、際限なく人は過ちを犯しますよ。
私が神だと言い放ち、人を殺す・・・はっきり言って、神様とか居るか居ないか知りませんが。
少なくても、貴方は神様じゃないですからね。
絞首刑って知っていますか?午前10時頃には終わる訳ですが・・・それまでに死ななかったら無罪になるのですよ?
何で中に浮かんで耐えないの?貴方は神様で飛べるのですよね?
本当に面白い神様だ(笑)
まあ、今現在に必要なのはきちんと理をつめた仏教とかなのかも知れませんね。
学校の道徳の時間に組み込んで、少しでも正しい人の道を示して行ける世の中になってほしいですね。
一生、美味しくないご飯を食べるのはおっちゃんには無理なので犯罪はしません(笑)
美味しいご飯を食べる為にも、働いて納税して悪いことから離れて。
自分に余裕できたら誰かに手を貸して、自分の機嫌を1番に良くして頑張って行きましょう!
因みに100%では考えてはいけませんよ!
人間間違えることはあるということです。
では、いつも見て頂いてありがとうございました。

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